美容室

下北沢で髪を切った。ずっと伸ばし放題にしていたのを四分の一くらいの量にしてもらった。シャンプーチェアに腰掛けてシャワーの湯を浴びた瞬間、なぜだろう、シャワーヘッドの穴という穴から放たれる水のごとく、下北沢でのたくさんの思い出が去来した。下北沢と縁が遠くなって久しい。いまは月に一度くらい、片道30分髪を切るためだけの行き来をしているだけだ。このサロンにはもう10年も通っていることになるだろうか、いつもなんとなくのリクエストを形にしてくれる存在はとてもありがたい。

二階の窓から見える景色だけはずっと変わらないけれど、この街は10年の間に大きく変わってしまったように思う。それは自分自身が変わってしまったせいもあるのかもしれないけれど、かつて僕を魅了してやまなかったあの半地下のような求心力を今や感じることはない。老齢の夫婦で切り盛りしていたラーメン屋も、軽快な関西弁が妙に身に染みるたこ焼き屋(こちらもご夫婦でやっていた)も今はない。無口なサーファーのおっさんが一人でやっていたラーメン屋は、今は麺も店員も変わってまるで乗っ取りに遭ったみたいだ。こう言ってると食い物の思い出しかないみたいだが、露崎館と建替はじめ、他にも挙げるときりがない。

あの頃下北沢は楽しく古くて新しいものがたくさんだった。それはその時代の要請であって下北沢が特にそうだったというわけでもないのかもしれない。こうした懐古主義、ないし黄金時代思考は自分がおっさんになってしまったことを痛感させるが、「大きな物語」がぽろぽろと溢れ落ちてたくさんの「小さな物語」に変わっていく過程はある程度真実だろう。またいつか一番街を抜けて、あの頃住んでいたアパートを通りすがりたい。今はどんな人が101号室の住人で、その人にとって下北沢とはどのような街なのだろうか。f:id:cuunelia:20170915224843j:image