相模灘

日帰りで踊り子に乗って伊東に行ってきた。伊東界隈の観光は車があると便利だが、半日くらいなら伊東駅周辺を徒歩でなんとなく周って楽しむことができると思う。伊東駅前は温泉街独特の、どことなくうら寂しい感じのする栄え方をしていて趣があった。うら寂しいとは言ってもシャッター街ないし廃墟のような様相ではなくて、昭和か平成初期のある時点で時間が止まった感じである。飲み屋やらスナックやらも多くが現役のようで、夜は夜で賑やかな表情も見られるのだろうかと想像された。商店街を抜けるとすぐ海が開けており、そのまま砂浜を散策することができる。このあたりは熱海と似ている。さすがにオフシーズンということもあり、浜辺を歩いていたのは自分のほかに親子連れの一組だけであった。大人になった今でも、砂浜の漂流物をつぶさに観察するのは楽しい。伊東の浜で面白かったのは流木として流れついた竹が多かったことだ。松川の上流に竹林でもあるのだろう。浜伝いに歩きながら北へ向かうと道の駅兼温泉があった。道を挟んだ向かいにはドンキホーテと寿司のチェーン店があり資本主義を感じる。せっかくなので温泉に入ることにしたがこれも良かった。露天風呂つきでとても広く、そして日曜の昼間の割に人がそれほど多くない。これがラクーアであったら約3倍の料金で混雑した中入らねばならないのでお得に感じる。まぁ何でも東京を基準に考えてしまうところがおのぼりじみてよくない。それはさておき温泉だけでなくて海の見える仮眠室などもあり良かった。道の駅以外にも旅館の温泉で日帰り入浴できるところは結構あるみたいだ。帰り際の海はちょうど夕暮れにさしかかった頃で、夕日が差し込んでまるで搾りたての乳か絹のように白く輝いていた。伊東の海は東向きなので、朝日もきっと美しいことだろう。引っ越して神奈川の西や静岡の方面にはかなり行きやすくなったので、ちょっとした週末にこうして出かけることができるのはとても嬉しい。

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若山牧水の短歌で教科書か何かで読んでよく覚えているものに、

白鳥は悲しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

というのがある。この白鳥は歌集『海の声』ないし『別離』では(しらとり)と読ませるが初出では(はくてう)と読む。おそらく音韻のよさから(しらとり)に改められたのであろうが、この歌で牧水が見たのは(あるいは想像したのは)一体どのような光景であったろうか。実は『海の声』でも『別離』でもこの歌は次の二首とセットになっていて、安房南房総)の海を詠んだものらしい。

空の日に浸みかも響く青青と海鳴るあはれ青き海鳴る

海を見て世にみなし児のわが性は涙わりなしほほゑみて泣く

白鳥は〜はこの二首に続く三首めとなっていて、この三首を除く歌の並びは『海の声』と『別離』では異なっていて、それぞれ前後の歌の組み合わせでこの三首の位置付けというか主題が微妙に変わってくるのだが、一般にはこの歌は恋愛の寂しさを詠んだものといわれる。恋愛と言われるとそうか〜と思ってしまうが、なんというかこの歌を見ただけだと死別とかそういった類の哀しみを歌っているようにも思えてしまう。とはいえ、これを詠んだ牧水は当時十代であったことも考えると、恋の歌であるというのもまぁうなずける。翻って、いずれにしても相模灘にぽつんと浮かぶ海鳥を眺めていて自分が感じたのは、ただただ優雅にして優美ということで恋愛の哀しみとも死別の哀しみともそぐわないものであった。白鳥〜も冬の海を歌ったもののはずだが、その時その時の表情や、それを見る人間の心境によっても生まれる情景というのは変わるのであろう。牧水のこの歌を思い出しても牧水の気持ちになりきることはできなかった。「シーザーを理解するためにシーザーである必要はない」というのは、それはそれでそうだと思う向きもあるが、果たして本当にそうかというところもある。少年が安房の海に白鳥を見て思う感情はいかなるものだったのかと思いを馳せていたら大分時間が経ってしまった。

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話は変わるが、最近は井上ひさしの『吉里吉里人』を読んでいる。この作品の評についてはここではないどこかでまた詳しくするつもりではあるものの、井上ひさしの作品を読むのは実はこれが最初だと思う。取材というか事前の研究がひどく綿密になされていることが読み取れる。ところどころに男尊女卑の趣が感じられて少し快くない思いはあるものの、まぁ昭和の作品といえばこんなところだろう。終始ズーズー弁で進められるSF小説といった切り口もなかなかよいと思う。この前に読んでいた西加奈子の『サラバ!』よりは読むのに時間がかかっているが、物語のペースもかなり遅い。『サラバ!』では物語を通じて主人公の半生が描かれるが、『吉里吉里人』ではたった1日半の出来事が描かれる(とはいえ、主人公の半生についても言及があるので完全に1日半というわけでもない)。こうした物語の中の「時間」はどんな作品でも興味深く思えるところで、テンポとかスピード感といった言葉にも代えられると思うが作品の面白さを大きく左右するところであると思う。

 

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