小説家

 津島佑子の『ヤマネコ・ドーム』を読んだ。津島は太宰治の娘だが、個人的にはアイデンティティとしてそれが一番最初に出てくるような作家ではない。宇多田ヒカル藤圭子の娘だが、別に藤圭子の娘だからという理由で大衆に愛されているわけではない。それと同じことだ。二世というのは大変なものだなと思う。親の七光りという恩恵を受けつつ、常に親の偉大さという圧力にも晒されている。そんな風に深刻にとらえていない人も多いかもしれないが、傷つきやすい人にはつらいことだ。もちろん先天的な影響、後天的な影響は色濃いと思うけれど、一個人として素晴らしい魅力を有するに至ったのはひとえに個人の才能と努力の賜物である。私は二世でも何でもないし彼女らを評価するとき二世であるといった要素は全く意識していない(そして二人の作品をとても好きで尊敬している)けれど、たまにそういうことを考えると尚更にすごいなと思う。

社会学者のロバート・E・パークの提唱した概念に「マージナル・マン(境界的人間)」というものがある。ある二つの対立する領域の境界を生きる人間を指す。こうした人間たちはそれぞれの領域から忌み嫌われつつも創造的な生を生きることになる(とされる)。後者の真偽はともかくも、いっぱんにこういう人々は差別的な暴力にさらされる。悲しくもそれは事実であり境界の内側にいる人間の業である。『ヤマネコ・ドーム』で描かれるのは戦後の駐留米軍と日本人との間に生まれる混血孤児たちの物語だ。かれらは戦争という非日常生成装置によって生み出された混沌のさなかに生を受け、マージナル・マンとして世界をさまよいながらも自らの生を切り拓いていく。

作品の中で象徴的に描かれるあと二つの非日常がある。2001年の同時多発テロ、そして2011年の原発の出来事。この作品は2013年の刊行で津島の晩年に書かれたものだ。津島自身、3.11を受けて表現をせまられる「何か」があったのだろう。書かなければならないと迫らせる何かが。「ヤマネコ・ドーム」というタイトルの原典は本書の巻末で明らかにされるので是非読んでほしいと思う。

The Cinematic Orchestra の曲で To Build a Home というのがある。『ヤマネコ・ドーム』を読んでいる最中に出会ったこの曲は、偶然にもこの作品の主題とよく一致しているように思われた。

 https://youtu.be/QB0ordd2nOI

 

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