福寿草

@cuunelia wrote on 1 Apr 2018 as followings:

おれは男だけどミサンドリーっぽいところがあるというか男のホモソーシャル感に違和感を感じることが多くて、でも一方でご都合フェミみたいな感じも好きではないし単純に人間嫌いというやつなのかもしれないんだけど、たぶん根底は万人をいかに差別せず平等に扱うかということにある気がしていて、

 

一方を差別から解放するためにもう一方が逆差別されてしまうみたいな構造的な問題はものすごく気を遣われるテーマであるので、自分の場合はそれが難しくて人とのコミュニケーションを避けがちというか口を噤んでしまうのかなと思う

 

これまでのライフヒストリーで稼得した価値観が差別観念から全く解放されているわけでもないし、無意識的に男女の性差によるロールの違いみたいなのが言葉尻に出てしまうこともあって、なるべくなら善人でありたいと思うのだが善そのものが相対的な価値観である中でそれを実現することは難しいと思う

 

けれども難しいからといってそれを放棄することはできないので一生かけてこの問題と向き合わざるを得ない感じはある。何も考えてないけど誰も傷つけたりしないみたいなことができる人は確かにいて、おれはそういう人を心から尊敬するけどその人たちになりきることはできないので原罪を負っている

 

これはシーシュポスの神話と同じで、原罪という岩を山頂まで押し上げることを繰り返してはまたふりだしに戻るような苦行なのだけれど、そうすることで万人に対して少しでも優しくなれるのならば甘んじて受けるべきものなのだろうと思う

 

答えに近づいたと思ったら麓まで転がり落ちるを繰り返すと解っているのに、それを考えずにはいられないことは無限にあって、それは苦しみかもしれないけれど、苦しみの奥深くに幸せのひと雫があるような感じもしているので、自分はやっぱりそういうのが好きなんだろうと思う

 

性差別の話に違和感を感じるかもしれないのは、多様な個を性別で一括りにして個別のストーリーが性対性の代表のように語られてしまうところで、本質的には性集団差別というよりは個に対する差別を考慮すべきというのが一応自分のスタンスになっている

 

この議論はマイノリティに関するほど危うさがあって、LGBTQはそれぞれ異なる問題と異なる差別を抱えているのに全部が一緒くたにされた上レインボーフラッグで連帯された集団として認識されるところがあって、絶対にそれを望んでいない人びともいる一方で連帯しながら声を上げることの難しさを感じる

 

Twitterでつぶやいてるのでやや思考が発散している感じがするけど、永らく考えていたことが何となく形になったと思うので一旦備忘録として残しておこうと思う。

 

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