キャパ

南の異国のショッピングモールに漂うのと同じ、香水と空調の黴、埃っぽさの入り混じった匂い。雨が降ると余計に増幅される。これが夏のちょっと手前の空気だ。

 

写真は記録<アーカイブ>の一形態である。それは刻一刻と変容する世界を、ある日ある時ある場所における「情報」として切り取る媒体である。

この写真という媒体は、その一方で人間の表現方法の一つであるという側面を持ち、単なる情報の記録にとどまらない意味伝達の可能性をはらんでいる。それらの意味伝達は、転じて芸術作品に昇華する可能性をも秘めている。例えば、ロバート・キャパが撮影したノルマンディー上陸作戦のワンシーン。それは第二次世界大戦中のオマハ・ビーチのある地点をある角度から切り取った出来事の記録である。しかし、その少しピンぼけした視点は、単なる出来事の記録以上の意味を我々に投げかけるだろう。その迫真さはまさに、臨場のキャパに我々の視点を一瞬でも重ねさせるものだ。それは、無名の兵士の形容しがたい表情、焦点のブレた海岸の光景を通じて戦争という出来事の非日常性(の一部分)を、ある意味においてはとてもリアルに、我々に伝えることだろう。その意味伝達のあり方は、一枚の写真を、アーカイブないしジャーナリズムという視点を超えて、一つの芸術作品として仕立て上げる。

だが、それを芸術作品と呼ぶとき、芸術とは一体何なのか?という思いが脳裏をよぎる。美しいこと、芸術であることは、我々に身近な概念であるが、その実それが示すものが何ものかは、皆目見当のつかないものに思えてしまう。しかしながら実際、我々はそのような曖昧な表現物に心動かされ、ある時は涙し、ある時は頭が真っ白になる程の衝撃を受けている。芸術とはかくも奇妙で魅力的な概念であると思う。

今では写真がひどく身近な存在で、ポケットから掌に収まる媒体を手に取りものの数秒で記録に収めることができる。そのとき我々には芸術作品を形作る意図はないだろう。しかし芸術作品であるかそうでないかの境目は、非常に曖昧になってきている。フィルターというツールがあたかも美しさの模範解答のように我が物顔をして蔓延っている今、美しさとは何なのか?果たしてそこに模範解答が存在し得るのか?ということを再考する必要があるだろうと思う。

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