回顧録

夏至の少し前の夜10時、気まぐれで会えるかもわからない人のことを待ちながら、渋谷スクランブル交差点の様子をスタバの席から眺めている。もうずいぶん前に飲み終えたアイスコーヒーは、もう氷の影も残っていない。その時暇つぶしのために持ってきた本は何だったろうか?もう十年以上も前の話だからほとんど覚えていない。スマートフォンもない時代、まさか携帯一つで何時間も粘れたとは思えない。「フィンチの嘴」だったかもしれないし、国際関係論のテキストだったかもしれないあるいは、村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」か。オシャレぶってデリダの「パピエ・マシン」を読んでいた可能性もある(内容なんてさっぱり頭に入ってこなかった!)。その頃の自分は、石川淳にも横光利一にもまだ出会っていない。村上春樹も「アンダーグラウンド」を読むのは大分あとになってからのことだ。真面目に勉強をやっているような学生ではなかったはずだし、映画にハマるよりも少し前だ。あの頃の時間のつぶし方を思い出したい。

 

別な日、御成門エクセルシオールで同じ人を待っていたことを思い出す。それは冬だったか夏だったかすらわからない。ただ、御成門の駅を出たあの交差点の、なんの変哲もない風景のことをよく覚えている。まさか数年後にその近くに住むことになるとは思ってもいなかった。東京に来て間もないあの頃は、東京の地理にも疎くて手のひらサイズの地図帳を風呂でひたすら眺めていた。東京タワーに一番近い駅といえば御成門芝公園で、東京の西に住んでいた自分にとっては馴染みのない駅名だったと思う。あの頃の風景に虎ノ門ヒルズはまだ登場しないが、ビルのたち並ぶ光景がなぜかとても魅力的に見えたと思う。

 

プルーストの記憶の大伽藍にはほど遠いが、音や香り、見たものなど、何かの刺激をきっかけに断片的な風景と出来事の記憶が掘り起こされることはよくある。そしてそれはだいたいにおいて、良くも悪くもない、なんの変哲もない出来事だ。上の話で言えば、どちらかと言うとより大事そうな出来事に思える、そのとき待ち人に会えたかどうか、会ったとしてその後の時間をどう過ごしたかすらもう記憶には残っていない(その頃の待ち人は、会う約束をしていても相手の気が変わって会えないことも多かった)。

 

いま、夜の銀座を、紫陽花に囲まれながら歩いている。最近降る雨は小ぶりなことが多く、傘を差さずに歩いても心地よいくらい。人出は少し戻ってきたと思うけど、夜の街はまだ全然寂しい空間だ。いまは誰を待つこともないし、誰かを待つためのカフェもない。夏の前の日比谷公園では、人の声よりも蛙の輪唱が響いている。後になって思い出すとしたら、この光景はどんな風に切り取られ、その時の自分にどんな感情をもたらすだろうか。


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