三四郎

2007年4月に大学に入学した。上京と一人暮らしという蠱惑的な組み合わせにまんまとはめられて学業はおろそかになった。正確に言うとそれ以前からそういう兆候はあって、あまり努力せずにかろうじて入学できたような人間がそれまでの調子で大学でうまくやっていけるはずもなく、落ちるところまで落ちるのにそう長くはかからなかった。サークルとアルバイトに精を出し、朝まで飲み歩いてその足で何とか一限に出席して爆睡、あるいは5限まで自主休講。年上の女性に溺れて大学の講義はほとんど頭に入らなくなった。何とか単位を食いつないだが、進振りで進める学部は農学部しか残されていなかった。二年生の後半から農学部の緑地生物学専攻というところに進む。そこでの講義は実は結構面白かったのだけれど、自分の周りにいる学生が皆それまでの自分を鏡に写したのようなまるでダメな人間ばかり(こう言うと語弊がある。真面目な学生は確かにいたはず)でようやくこのままではいけないと思うようになった。二年生をもう一度やり直して、文学部に進学した。それまでの二年間で理系研究者が向いていないことはわかっていたし、理で入学して文転は高校のときから描いていたコースでもあったので割と迷いはなかった。結果として、文学部では人生の財産とも言える学問と先生、そして同窓生に恵まれた。だから僕にとっての大学生活は、駒場にいた三年間と本郷にいた二年間でそれぞれ別な人生のように違っている。今となってみればどちらも今の生に地続きで繋がっていて、それぞれポジティブな意味を与えていると思う。ただ、やっぱり大学としての思い出は本郷の方が親しみ深い。建造物の趣ももちろんあるだろうが、学問をやったところと言えるのが僕にとっては本郷だったから。

もう二年くらいは本郷に行っていないと思う。この間に図書館のあたりは随分と変わってしまったらしい。漱石を読んでいるとちょくちょく本郷の描写があるものだから、触れるたびに懐かしい思いが溢れる。今年は久しぶりに銀杏並木の黄色いじゅうたんを見に行こうか。

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