深い河

夏の陰から秋が様子をうかがっているようなそんな空気。少しひんやりした風が吹くだけでちょっとドキドキするような、一方で切なさも感じるような複雑な気持ちになる八月の終わり。今年の夏は海にも行かなかったし花火も見ていないが十分楽しんだような気がしていて、気持ち的には早く秋になってくれという感じ。夏と秋の一進一退を天気予報に読み取りながら悶々と秋の訪れをただ待つ。

 

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好きな小説の一つに遠藤周作の『深い河』(ディープ・リバー)がある。輪廻転生に妻の死の救いを求める男、奔放な生を送りながらも自分のそういった生き方にもやもやとした疑念を感じていた女、信仰とは何か、神とは何なのかを苦悶する男、人々がそれぞれの「理由」を抱えてインドを旅する。村上春樹は『カラマーゾフの兄弟』を総合小説というが、自分にとってこの作品も小さな総合小説のようなものである。遠藤らしく自身の宗教観、宗教色を色濃く感じるものではある(根底にあるものは宗教の深い断絶である)が、テーマはそれだけではない。戦争、生き方、愛、……読むたびに色々なことを考えさせてくれる。それは僕自身を時に暗闇に引き込むこともあれば、あるいは暗闇に光を照らす存在になってくれることもある。ひとはそんな作品になかなか出会えるものではないだろうし、この作品に出会えたこと自体が人生の一つの価値であると僕は思う。これは蛇足だけど、この小説に感銘を受けた宇多田ヒカルの楽曲「Deep River」も好きな曲だ。

『海と毒薬』も『沈黙』もそれぞれ良さがあり好きな作品ではあるが、それでもこの作品の良さには及ばない(色々評価はあるだろうが、これが自分の評価)と思う。

ちょっと話が飛躍するというか、小説そのものへの内容の言及を避けたいのでこういう言い方になってしまうのだが、内心の吐露、というか、着飾っていない裸の感情を見せ合うことが僕の最も好む人間の魅なるところであって、それは時に鋭利な刃物のように暴力的な現象であるし、あるいは水鳥の羽で包み込むような優しさを感じさせることもある。この複雑さと不完全さこそが人間の本質なのだ。僕は大学でいったい何を学んだのかときどき戸惑うことがあるけれど、いろいろな人いろいろな文章と出会いを重ねたからこそ得られたものもあったのではないかなと思う。それは今でも言葉ではうまく言えないし、うまく言いたい気持ちもない。

たまたま最近いろいろな人のむき出しの感情(と言っても、その言葉で形容されるほど乱暴で粗野なものではなくて、あったかいお湯みたいなもの)に触れる機会があって、なんとなくこの小説を思い出した。