青い鳥

二人きょうだいのチルチルとミチルは幸せの青い鳥を求めて夢の中で過去や未来の国へ長い長い旅に出る。旅から帰ったとき、二人はもともと家の鳥かごで飼っていた鳥が青かったことに気がつくーー。モーリス・メーテルリンクの有名なこの童話劇が示唆するものは、つまるところ幸せとはわれわれに最も身近なところにあるものだという教訓的で美徳的な人生の本質といったところだろうか。けれども、物語に現前する事実として、チルチルとミチルは旅に出ることなく青い鳥の青さに気づくことはできなかった。幸せは私たちの最も身近なところにあるかもしれない、しかしながらその幸せに最短距離でたどり着けるとは限らない。時にはチルチルとミチルのそれのように、過去と未来にわたる長い旅路の果てにはじめて識ることがかなう幸せもある。そのような意味でこの物語の主題は「旅」であるとも言える。私たちが希求してやまないものを探し求める長い旅。ときに旅路それ自体は無意味で単なる徒労のように見えてしまう。しかし現に、私たちはその旅路なくしては答えにたどり着くことができない。そしてその旅路は人それぞれ均一でなく、求める答えもまた一つ一つ同一でない。旅路に見出す意味も、旅路の前途も、私たちの自由な選択と意志によって生み出されるもののように見えて、しかしながらただ一通りの人生において私たちがそれ以外の選択をすることはない。長い長い一筆書きのその軌跡は、たくさんの選択肢に支えられているようで実は運命的な何ものかに限りない拘束を受けている。

パウロ・コエーリョの「星の巡礼」は、フランスのサン=ジャン=ピエ=ド=ポーからサンチアゴ・デ・コンポステラまでの北スペイン巡礼の道を旅する主人公の物語である。旅の中で主人公はある大事なものを求めて様々な道中の試練と立ち向かい、そして精神的(あるいはスピリチュアルにというべきだろう)な成長を遂げていく。その旅路は主人公にさまざまな選択の余地を与えるが、しかし主人公はただ一つの選択に身を委ねている。それは当初こそ不安定であいまいな選択であるが、長い旅路を通じて「こうでなければならない」という強く確固とした意志に支えられた選択となる。

私たちの探し求めるものは幸せかもしれないし、愛かもしれないし富や名声なのかもしれない。求めるべきものを求めて私たちは人生の長い長い曲がりくねった旅路を歩み、そうしてその先に何らかの答えを見出す。長い旅路を通じて、実はほんとうに求めていたのは当初欲していたものとは別の何かだったとわかることもあれば、結局そんなものなど存在しないという結論に至ることもあるだろう。しかしだからといってその旅路は全く無意味なものということにはならないし、それは私たちの人生を形作り存在を与えるひとつの輪郭線をなすものでもあるのだろう。

f:id:cuunelia:20180427204046j:image