春の歌(二)

思い出は忘れ去らぬうちにしたためておこうと思う。大事なことや印象深いことは比較的ずっと覚えていられるだろうが細部までとなるとそう簡単にはいかない。この日記は昔あった出来事の細部を呼び起こすのに個人的にはすごく適している。それはただ古いシナプスどうしを再び繋ぐきっかけを作ってくれるだけでいい。だから日記自体に細部を描かなくても、ちょっとした文章と写真だけで十分であったりする。

春の夜の鴨川は空気がとても冷たかった。東京は桜満開が報じられる中で京都の桜はまだまだという感じではあったが、蕾をたくわえた高瀬川の夜桜は、咲いていなくとも確固とした美しさがあった。夏に比べてまだ暖かくない春の鴨川は人も疎らで、昼間に比べるとそこに張りつめた一本の弦が通ったような、つるりとした緊張感が漂っていた。

京都の人はよく余所者に冷たいとか何とか言われるけれど、それはもしかしたらある点においては確かに実在する冷たさなのかもしれないが、人間的な差異で回収できる以上の文化的な差異が果たしてあるのだろうかとも思う。というのも、この旅でも前の旅でも、出会った京都の人々は皆温かみの感じられる人ばかりであったからだ。そんな出会いに恵まれてきたのも京都だけ。それは須らく僕の能力ではなくて、周りにいてくれた人たちの才能なのだろう。まだまだ冬じみた京都の夜は少し早い桜の宴とともに過ぎ去り、存外に温かく感じられたものだった。

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