春の歌(三)

出町柳の飛び石から鴨川を2kmほど遡上したところに京都府立植物園がある。ここは京都観光の名所というわけではないが、日本の植物園としてはかなり充実している方だと思う。春の陽気にあてられて鴨川沿いを歩きつつ、この植物園へ向かうことにする。

あたたかな春の道はレンギョウの黄色とユキヤナギの白が鮮やかな晴空の下によく映えていた。灰色に煤けた街を歩く2kmはとんでもなく遠く長い時間がかかるイメージがあるけれど、春の鴨川沿いの2kmなんて本当にすぐだ。穏やかな川の流れに溶け込むように静かな気持ちで歩くことができた。

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川辺では早くも川床の基礎を設えている店もあり、これから訪れる季節のことを想像させてくれる。京都は盆地だから夏が暑い。だからこそこうして涼を取り入れる方法が色々と発達しているのだろう。川床とはいつ見てもなかなか風雅な仕掛けを考えたものだなと思う。

春は鳥たちのさえずりの季節だ。競い合うように披露される複雑な歌声たちは、春にしか味わうことのできないBGMのよう。歌声の複雑性が単一の評価基準であったなら、人間もさして性愛に苦労することはなかろうかと思われるけれど、これ自体はナンセンスな問いである。最近は性愛の顛末を考えることが多いけれど答えはなかなか見つからない。しばらく考えることをずっと放棄していた。傷つきたくないという気持ちもあった。他人の性愛を劇場の客席から見物できればよいとさえ思っていた。そうまで思っていたのに再び向き合いはじめたのは、鳥たちの幸せそうなさえずりに、何となくしてやられたという感じがある。答えは見つからないけれど探す工程が大切という向きもあり、考える時間を無駄と思うことはない。考えすぎるのも良くないかもしれないが、向き合うことは今のところはとてもとても大事なことだと思う。少なくとも自分自身にとっては。

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