倉庚鳴

久しぶりに散歩らしい散歩をした。寒くなってから生活スタイルがだいぶ内向きになっていたし、二度目の緊急事態宣言下で都内の庭園が軒並み閉園となっていたこともあって外を歩く楽しさを久しく忘れていた。

信号待ちのオープンカーから流れるマイケル・ジャクソンのBeat itにちょっとした非日常感が感じられて足取りが軽くなる。カメラロールを見返してみたらいつもの赤羽橋のガソリンスタンド前から撮る東京タワーも去年の夏は収めていなかったことに気づく。別に毎年代わり映えのする光景ではないが定点観測のような気持ちで定期的に撮っている。昔携帯の機種変更をしたときに過去の写真を移さないままデータの消去をしてしまって後になって後悔したことがある。その時住んでいた家とかの何気ない風景が、今では絶対に見ることのできない何かであることはそう珍しくないので、記録に遺しておくのは個人的に結構大事な手続きである。

今年は冬から春に代わる時の花をあまり見られないかなと嘆いていたが、意外というべきか、梅や木蓮、雪柳の花は見かけることができた。菜の花は少し難しいかもしれないな。一昨年の春に浜離宮のお花畑で見た一面の菜の花は一瞬で明るい気持ちにさせてくれるような鮮やかな明るさがあったことを思い出す。

家にいる時間が長くなると、やろうと思えば無限に家事が見つかることに気がつく。掃除も別に床の掃除に限らずエアコンのフィルターからお風呂の排水溝までメンテナンスすべき場所はキリがない。棚のホコリも定期的にとりたいし、冷蔵庫内もある程度清潔に保つには整理と清掃を怠りたくない。昔はそういうこともめちゃくちゃに嫌いだったというか、汚部屋で何が悪いみたいな態度の人間だったので、何がきっかけで変わるかわからないなと思う。多分部屋のそもそもの広さとかも関係するのではないかと思う。広ければ広いほど綺麗に保ちやすいというのはあるだろう。

こんな生活を長くは続けたくないものだが、一時期と比べるとずっと心の余裕が出てきたように思える。


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