青海波

文化的簒奪 cultural appropriation という言葉がある。マイノリティの文化が支配的集団の文化によって取り込まれるとき、マイノリティの文化はその文脈をほとんど完全に失ってマジョリティの文脈の中で再解釈されることになる。

例えば、ヴィクトリアズ・シークレットのショーで、モデルがネイティブ・アメリカンの羽飾りを付けて登場すると、それは白人による文化的簒奪と言われることになる。つまるところ文化的簒奪とは、当事者の悪事意識にかかわらず、多数派による少数派文化の濫用をもって批難されるべきなのである。

では、日本人が黒人メイクをして笑いを取る行為についてはどうだろうか。人種の特徴を捕まえることは、そもそも文化の盗用と捉えるものではないが、仮に同じ枠組みで論じることができるとすると、日本人も黒人もある意味においてそれぞれがマイノリティの文化圏に属する人々であるから、上でいう文化的簒奪の定義にはあてはまらないのかもしれない。しかしながら、それならば何の問題も無いのか?という問いに答えることはけっこう難しいと思っている。正直自分自身の回答は否、問題大ありだ。それは多分、仲間うちで楽しむために境界の外の世界を濫用している点において、境界の外に対する敬意を欠いているのが大きな理由だと思う。それは、マイノリティがマジョリティの文化を嘲笑する行為についても同じことが言えるだろう。つまり、声の出しやすさという観点からマジョリティとマイノリティの差異が問題にされやすいが、そもそも論として、それ自体は結果として誰も傷ついたりしない行為だったとしても、それを放置・助長することによって、境界の外の誰かが傷つき、気分を害するのであれば、我々はそれに対して怒っていかなければならない。怒るということはとんでもなくエネルギーのいる行為だけど、誰かが怒らないとそれは一生変わることがないだろうから。

(この話はrebuild.fmのEp.202を下敷きに書きました。)

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