猫の夢

あくまで個人的な事情だが、負の感情は文章に起こしやすい。負というと少し語弊があるかもしれない。例えば満たされない感情、鬱屈した感情、ものごとに対する批判や非難の精神など。文章にしやすいからこそ、意識してそのような話題はなるべく避けようとする。逆に、ポジティブな感情、好きなもの愛おしいもの、賞賛すべきものに対してはそもそも文章にしないか、文章にしても極論「良い」の一言で終わってしまう。負の側面は構造化しやすいが、良さの感情は言語化できない複層的な要素があり、それをうまく表現することができない。筆舌に尽くしがたいことは良いものにほどよくあること。経験的に、文章にせよと言われたらそれなりの文章にはなるだろう。けれどもそれは冗長で面白みのないものになりがちで、筆を尽くすほど現前する良さから遠く離れていってしまうような気さえする。あの日見た夕景の美しさ、金井美恵子の小説、金木犀の香り、シャンパーニュの味、それら全てが「良い」の一言で並列に語られるとしたらそれはどう考えてもおかしい。語り得ないことではないはずなのに、語ればそのものの持つ「良さ」がぽろぽろと風化していってしまうような、そんな恐ろしさを覚える。言葉は美しく脆い蝶の標本のように、引き出しの奥にしまわれたまま二度と顧みられることがない。


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