曼荼羅

ジャン=フランソワ・リオタールは『ポストモダンの条件』(1979) のなかで、「大きな物語」に依拠することで成り立ってきた近代に対して、それら大きな物語への不信感が蔓延した時代をポストモダンと定義づける。大きな物語とは、もともとは科学の拠りどころとなる原理・原則に意味を与えるためのナラティヴをそう呼んでいるのだが、同時代であるジャン・ボードリヤールの消費社会論と併せて、消費社会のポストモダン化を説明するタームとしても用いられるようになる。それはしばしば、テレビや新聞といったマス・メディアが凋落し、SNSの台頭により個人から個人への発信が加速した背景を体よく納得させるための道具となっている。

歴史上最古のマス・メディアとは、グーテンベルク活版印刷技術による聖書の発行である。一なる神の時代はまさに大きな物語がマス・メディアと接合して揺るぎない威信を獲得していた。いま、大きな物語の崩壊とともにマス・メディアそれ自体に対する信頼も希薄化しつつあり、大きな物語を共有する機構そのものが成り立たなくなってきている。

マス・メディアに代わり台頭したソーシャルメディアは、その存在自体マス・メディアの否定であり、マス・メディアのオルタナティヴとして存在することはできない。以前の紅白歌合戦ゼロ年代のサッカーW杯のように、共同体における市民が一体となって一つの物語を消費する光景はもはや存在しない。バタイユ的な一方向の蕩尽によって保たれてきた個人との均衡を失ったメディアは、消費する個人同士を介在する単なるプラットフォームへと変貌した。インターネット上で遍く私的祝宴が繰り広げられ、人々は余剰ではなく自らの身体を切り売りしながらインプレッションを稼いでいく自傷的な社会を生きるようになる。

 

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