洗濯物

コインランドリーは不思議な空間だ、と思う。何故と問われると答えが難しいのだが、そこにしかない独特の空気感が漂う。通常、コインランドリーは独立して運営されることもあれば、クリーニング店と併設されるタイプもある。また、日本では銭湯などの浴場に併設されるものも少なくない。東京のコインランドリーは比較的小規模の店舗が多い印象にある。上京したての頃、ベランダに物を干すほどのスペースが無かったので、家から歩いて1分もかからないコインランドリーの乾燥機を使っていた。コインランドリーを使うのは、必然的にその近所の特定の人間ということになるから、使う時間帯が重なれば何となく顔見知りのような感じになる。が、そこに社交があるということはあんまりない気がする。洗濯物というプライバシーの塊を公に持ち込むことで、そこにある種の緊張感が生まれるのだと思う。

洗濯が終わるまで、あるいは乾燥が終わるまでの時間をどのように待つかは全く自由だ。洗濯物を放置しても呼び出しを食らうわけでもないから、その時間家に戻っていてもいいし、何なら買い物してきたって良い。もちろん、ランドリーのベンチに腰掛けて読書や携帯ゲーム機に没頭するのもありだ。

アメリカではコインランドリーはランドロマットという。ニューヨークに滞在した頃はイーストヴィレッジ近辺の店舗をよく使っていた。ニューヨークのような都心でも、日本に比べると店舗の広さは2倍以上にもなる。それだけ需要があるということなのだろうが、やはり広いほうが開放感はあり、何となく居心地はよい。誰も干渉してこないけど、人の営みをそばに感じられるみたいな空間は他にない。カフェが近いかもしれないが、カフェのような会話主体はあまりない。洗濯機を回して買い物に出て、戻ってから洗濯が終わるまでの30分ほどの読書が無性に捗った。その頃は何故か日本から持ち込んだ新書アフリカ史を読んでいたと思う。単なる日常生活の一部と割り切れない不思議な印象が胸に焼きついている。

コインランドリーを使わなくなって久しいが、今でもその小さな空間を見かけると何とも言えないノスタルジーに浸ってしまう。


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