屋根裏

屋根裏という名のそのライブハウスは、下北沢駅から京王井の頭線を渋谷方面に乗ればすぐに見えた。そのライブハウスに行ったことは無かったが、自分にとって下北沢の一番のランドマークだったと思う。数年前にそのライブハウスはなくなってしまった。

下北沢は上京して最初に住んだ街だ。もう十年以上も前のことだが今でも深く印象に残っている。自分が住んでいたのは大原の方面で、西口から茶沢通りを井ノ頭通り方面に歩いて10分ほどのマンションの1Fだった。駅からすぐだった昔ながらのラーメン屋は、夜遅くまでやっていてバイト帰りにはいつもお世話になっていた。老齢のご夫婦が経営されていたそのラーメン屋は数年前に店を閉じた。

下北沢にはそんな場所がいくつもある。露崎館のミケネコ舎、屋根裏、南口の小さなスターバックス、……街が変わってゆくのは至極当然の営みだが、十年前のランドスケープが深く心に刻まれた自分自身にとってその営みはときに暴力的にさえ映る。小田急線はいつしか地下をはしるようになり、開かずの踏切闇市みたいな食品市場も姿を消して今はだだっ広い空間をゼネコンの囲いが覆っている。百円で漫画を朗読してくれる人も見かけなくなった。警察が声をかけるまで続く駅前の路上ライブも前ほど多くはなくなった。演劇、音楽、古着とサブカルチャーのごった煮のような街は、少なくとも自分の中では以前のような求心力を失ってしまったように思える。

そんな風に変わってゆく街の姿を目の当たりにしながら、自分は十年の間にどれだけ変わったのだろうかと考える。人も街も部分部分を少しずつ入れ替えながら、同一性を失うことなく変わってゆく。学生の時分から大して変わっていないようにも思えるし、全く別人のように感じることもある。「変われた」のか「変わってしまった」のかも、主観のはたらきである。そこには変化という事実しかないが、そこに意味を与えるのが人間だ。街の変容を嘆くのもまた人間による意味づけである。

南口のDORAMAではじめてアダルトビデオを借りたときのことは、今ではもう覚えていないし、その時どんな感動を得たのかもよくわからない。はじめて二日酔いになったのも、はじめて人と同棲したのも、はじめて車道に身を投げようと思ったのも下北沢だった。未経験を一つ一つつぶしていくことは、別に人生の目的でも何でもないし、それが自分の成長に繋がったとは一切思えないが、それまでの人生の進み方とまるで違う、二重振り子のように先の読めない渾沌を生きていた。別に下北沢という街にそんな魔力があったわけではないと思うけれど、そんな二年間を過ごしたからこそ下北沢という街をいつまでも忘れることができないというのもあるのだろう。


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