熱帯夜

部屋の明かりを消すと障子から青白く月灯りが差していた。外に出れば四方から虫の声に蛙の声が響き、空にはもち月がふっくらと夏の宵を照らしている。眠れぬ夜の手慰みに思い出し話を書く。

 

熱帯夜という言葉で真っ先に思い出すのは大学生の頃に同じ研究室の面々で行った隅田川花火大会のことだ。その頃は根津に住んでいたので自転車で浅草まで向かったのだが、駅周辺はあまりに人が集まりすぎて携帯もろくにつながらなかった記憶がある。なんとか合流して街を歩きながら花火が見える場所を探すが、当然よい場所は既に場所をとられているので、たとえ見えても花火の端程度だ。

花火大会の夜はその年の夏の中でも特に暑く、夜なのに歩いているだけで汗が止まらない。自販機も冷たい飲み物は人気のなさそうなものまで売り切れで、横には空のペットボトルが山積みに捨てられていた。ほぼ熱中症になりかけで歩いた先に唯一売り切れていない飲み物を見つけるまで生きた心地がしなかった。

だいたい浅草は会場から近くても建物が密集していて落ち着いて花火を眺められるスポットはそう多くない。場所取りも暑さ対策も含めて完全に失策だった。これが自分にとって初めての東京での花火大会だったので、何となくトラウマになって花火大会は敬遠しがちだった。実際、それから何年も経つけれど花火大会に行ったのは一度か二度くらいだ。

実は今年は今住んでいるマンションから隅田川の花火が見えた。と言っても大層なものではなく、視力検査でいうと上から二番目くらいの大きさの花火がぽつぽつと上がるのを見ているだけだが、それでも夏の風物である。たまたま両親がこっちに来ていたので、家で土用丑の鰻を食べて、地元の桃をかじりながらベランダから花火を眺める。隅田川のトラウマを塗り替えるには丁度よいかもしれないな。

花火はスマホで撮ってもあまり写りは良くならないのでほとんど被写体になることがない。良いカメラを揃えれば別だろうが、そこまでするとさすがに場所が重要になってくる。思えば隅田川とか神宮外苑の花火は、街が明るいために暗い空とのコントラストを望むことができない。そういう点では長岡とか諏訪湖とか、東京ほど明るくない場所の花火も一度は見てみたいという気分になってきた。来年の夏はどこかに遠征しようかな。


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